「僕が主犯」-私が見てきた平野紫耀-
「僕が主犯」
この言葉にわたしが見てきた平野紫耀が詰まっている気がした。
文を書くのは得意ではないからデビュー発表を受けて書いたので終わりにしようと思っていたけれど、どうしても上の言葉と紫耀くんについての思いを綴りたかったり。
私は紫耀くんが舞台を任されることに誇りを持っていた。勿論、もっと地上波に出て知名度を広げてほしいという気持ちはあった。それでも、あの社長にとって舞台はジャニーズにおける真髄で、その座長を仮にもデビューしていない、入所して数年のJr.に任せた時、社長の本気と期待を感じた。
社長は、舞台をさせるタレントには背負わす傾向がある。それは紫耀くんも然りだった。
紫耀くんは背負わされた。当時の彼からしたら、とてつもない大きな物を。きっとその苦しさに何度も弱音を吐きそうになったはず。それでも彼は背負った。背負ったものをおろす事なく、グラグラになりながらも立ち続けた。
そんな紫耀くんを支える仲間として、廉くんと海ちゃんが近くにいることはとても頼もしかったし、何よりも帰属意識がなかった紫耀くんが自分の家と言える場所を見つけた事に安心を覚えていた。あぁ、紫耀くんが背負った荷を2人となら共有出来るのかも。そんな事をすら思っていた。
でも、「僕が主犯」という言葉を聞いた時、もう彼は誰にも背負わせる気は無いんだ、そう感じた。
主犯は悪事や犯罪の中心人物という意味。紫耀くんがはっきりと口にする事はあまりなかったけれど、認められたいと願う紫耀くんが、その認められるとはデビューということなんどと思っている紫耀くんが、何よりも大切な仲間と勝ち取った待ち望んだデビューの決定は、誰よりも嬉しかったはずなのに。紫耀くんはこの言葉を使ったんだ。
いろんな意見がある。私もツイッターでたくさんの意見を見た。それは彼らだって分かっている。受け入れることの出来ない人達がいるということ、必ずしも全員が幸せになれる決断なんてない。
だから、彼は主犯という言葉を使ったのだろうか。100人中99人が幸せだと思える事でも残りの1人とっては耐え難い事実かもしれない。彼はその1人のやりきれない感情をすべて受け止めるためにこの言葉を口にしたのかもしれない。
もちろん、紫耀くんがここまで考えてるとは思わないけど、社長に直訴という勇気ある行動にその言葉を使った時点で、彼の中にある潜在的な何かがこう言わせたのかもしれない。
誰よりも優しい彼だから、自分がそう言うことで他の誰かが非難される事を無意識に避けたのかもしれない。自分を高めてくれたライバル達を、自分を支えてくれた弟達を、守ろうとしてくれたのかもしれない。
全部、何もかも背負おうとしてるんだ、彼は。
そのことを紫耀くんがどこまで自覚しているかは分からないけれど、きっと、無意識に紫耀くんは孤高の存在へと足を進めているのかもしれない。
きっと彼はグループだけじゃない、ジャニーズの未来も託されている。それだけ逞しくなった。先輩に囲まれてフワフワ笑っていた可愛い紫耀くんは、いつしか誰もが認めるJr.のエースとなっていた。それが彼の努力であり天性の才能だと、きっと社長は気づいていた。すべては社長の見解通りだったのかもしれない。
私がずっと応援してきた亀梨くんも、所謂背負わせる人間だった。そんな彼が10周年のインタビューでこう言っていた。
「"それは右"と言ってみんなが理解するなら俺の存在価値はない。ふつう左じゃない?と言われても、右に進んで成功されるのが存在価値を証明することだから。それって孤独だよ」(Myojo一万字インタビューより、一部省略)
紫耀くんが直訴の話を持ちかけた時、時期尚早だと言ったのが誰かは分からないけれど、その行動を取ることに不安や疑問を持ったメンバーもいたのかもしれない。それでも彼は動いた。亀梨くんのインタビューの続きにはこうある。
「だからこそ、自分を理解してくれる仲間を増やしていかなければならない。理屈抜きで信じてくれる仲間を。こいつが言うならついていこうぜ!って言ってくれる仲間を」
紫耀くんは、「デビューしたからこそ、できることもある」という言葉で全員の承諾を得た。きっとそれには、普段逞しいと、頼りになるという紫耀くんの強さがあったからだと思ってる。
勿論こんなのすべて私の頭の中の妄想だし、上に書いた事は間違っていると思う。
それでも、「僕が主犯」いう言葉にそれだけの思いを馳せていたと感じてしまう儚さが紫耀くんにある。
少なくとも、わたしが見てきた平野紫耀とはそういう人物だった。
これからも紫耀くんは背負い続けるんだろう。だとしたら、私は彼がいつかその荷物を下ろすときが来た時に、お疲れ様と言えるファンでありたい。
あぁ、紫耀くんの沼からはもう、抜け出すことは出来ない…。